吉田山山頂の「茂庵」でお昼を済まし、吉田神社の方へ戻るのではなく神楽岡をくだって「真如堂」に向かうことにした。
夏蝉がせわしく鳴いており、幻惑の暑い午後だった。
朝から「糺の森」や吉田山を歩いてすこし消耗しているためか、脚が重い。
夏の光が眩しすぎて、目をわるくしているボクの瞳は光彩を調整できずにいる。
吉田山神楽岡の坂を下ると、大正時代から昭和初期に建築された賃貸住宅、通称「神楽岡住宅」のどこか不思議な佇まいを目にすることになる。
吉田山の東の傾斜地に擁壁を築き段々に造成しているのだ。その高低差によって、どの家々からも東山や大文字が一望でき、風通しも良好なみごとな設計がなされている。
財を成した豪商が、主に三高や京都大学の先生方を対象とて造成・建築したと聞く。
「茂庵」とはその豪商の雅号で、広大な「茂庵」の敷地は豪商の茶苑として贅を尽くして造られたらしい。
神楽岡住宅の屋根は銅葺きに統一されていて、杉垣や漆喰の壁で上質に作られていて住宅は品がいい。いく筋か段々に住宅が並んでいる。
その中の一軒に、「吉田山山岳救助隊」のプレートがかかっていた。
この山で、「遭難」か・・・。
京都は、面白い。
神楽岡からは大文字山や真如堂の三重塔が間近に見えている。
吉田山山頂のcafe「茂庵」

「茂庵」の広い敷地内にある「田舎席」の青紅葉

「茂庵」の広い敷地は吉田山の東斜面の杜の中にあり、その下には大正時代の神楽岡住宅が残っている。

上から二筋目の神楽岡住宅の一軒に「吉田山山岳救助隊」のプレートが掛かっていた。

