くろ谷の金戒光明寺には、いい風が吹いていた。
おおよそ京都の夏は、空気が淀んで蒸し暑く、風のないイメージが強い。
ところが、どういうわけかここ黒谷の丘は、いつきても風が吹いているように思う。
土曜だというのに、真夏の金戒光明寺には参拝客が少なかった。
会津藩士の墓所でお話しをした一人旅のフランス人のご婦人。
小一時間ほど御影堂でノビていたボクの横で、同じようにノビていた若いお兄ちゃん。
写真を撮ってほしいとニコンを手渡された若いカップル。
それに、観光の熟年ご夫婦。
山門にちょこんと座って涼んでいたご近所のお婆ちゃんと、後から犬を抱いて現れたもう一人のお婆ちゃん。
1時間ほどの間におそらくボクを含めても10人程度だと思う。
ここからだと地下鉄に乗るにしろバスに乗るにしろ、平安神宮のある岡崎まで出るのが便利だ。
このあたりは、けっこう詳しい。
学生時代、ボクは岡崎に編集室があった専門誌の出版社で2年近くアルバイトをしていたのだから。
とはいえ、もう40年も前の話しだが。
平安神宮や岡崎あたりは疎水はあるものの、「しっぽり」とした京都の空気は流れてはいない。
渇いた京都の一角とでも表現したらいいのか、明治以降の開発エリアで京都の庶民生活や文化的伝統の系譜に乏しい。
だいたい、百万遍の京都大学の広大な敷地は「尾張徳川屋敷」であったし、岡崎の平安神宮は「彦根井伊屋敷」だった。
大鳥居のある京都市美術館や国立近代美術館のある今日の文化ゾーンは、広大な「加賀前田屋敷」跡地なのだから、庶民生活とは縁遠いのもうなずける。
この日、京都の空は青く、まぎれもなく夏がはじまっていた。


