ボクとしては、写真も多く気軽に読める英語本として流し読みをしただけだったはずだが・・・。
原書で先に読んで、のちに五木寛之の訳本「かもめのジョナサン」が出版されそれも読んだと記憶する。
もう半世紀ほど前の読書遍歴の一冊に過ぎないのだが、10代後半から20代後半までの10年間ほどの読書は、どれも求道的にもがき苦しみながらのもので、思い返すとどれも鉛のように重く息苦しくなる。
サリンジャーの”The Catcher in the Rye”とこのリチャード・バックの”Jonathan Livingston Seagull”は、とっつきはお気軽本として原書で読んだが、みごとに裏切られボクはやはり鉛の重みに絡まれてしまった。当時、時代の空気は開放的であったが、ボクは閉塞していた。いまは、ほぼ役割を終えたボクには解放感があるが、時代はどうやら閉塞しているようにおもう。

Tag:愛知県