毎年2月の半ば過ぎ、周辺の村々から13歳前後の少女たちが古川の八ツ三旅館に集められたという。
雪の中、高山まで歩き、さらにあちこちの村から集められた少女たちと合流したと聞く。
親と別れた少女たちは、雪深い厳冬の木曾の山道を歩き、標高1672mの野麦峠を越え岡谷の製紙工場に、「糸引き」にでたという。
それから10ヶ月毎日13〜14時間、少女たちは糸引きの女工として働いた。
大晦日前の年の瀬に、少女たちは給金を懐に、ふたたび雪の野麦峠を越えて親の待つ故郷の飛騨を目指したという。
吹雪で行き倒れる少女もいたと聞く。


